来月、初挑戦で新しい講習会をやりたいと思っています。
講習会の詳細はこちらをご覧ください。http://eeeagency.com/event/20140524hinobudo/
下記、講師の政己さんから日野武道とは?を説明していただきいました。
理解は難しいけど、本当は自分の周りに空気のように存在している事。すぐには解らなくて当然。
まずは、興味をもって読む所から入ってもらえればと思います。
日野武道コンセプト
皆さんは「武道」という言葉や響きで既に個人的なイメージが出来上がっていると思います。それはしかたのないことです。メディアという媒体があるかぎり興味がある無いに関わらず情報は入って来ます。
しかし「武道」という実際は殆どゼロに近いぐらい情報として入ってきません。残念ながら所謂「格闘技」、「護身術」、「危険」や「暴力的」といった腕力を対象としたような扱われ方しかされてないのが現状です。
勿論「精神性」や「礼儀作法」といったポジティブな見方をされいている方もいますが実はその「多様性」が原因と言えるかもしれません。
「孫子」が残した言葉に「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのがありますよね? 聞いたことある方は沢山いると思います。
でもこの言葉を実際として一般の日常で使えると考えられた方は現代ではそんなにいないと考えられます。それは世の中が平和になり人間の能力が特別に優れていなくても比較的容易に生きていける世の中になったからです。
だけど、そんな世の中になったからといって社会での自分、家庭での自分がなんの衝突もなく過ごせているのか?と聞かれれば多くの方々が何らかの解決出来ない問題があったり仕方がないとか諦めるなど所謂ストレスという言葉に置き換え日常を過してしまうという事があると思います。
何だかんだといっても人間社会は「力関係」で成り立っています。「権限」を持つ人間が必ず存在し、大きく分ければ「服従」か「対立」といった極論的な形になりがちです。
実は「武道」が取り扱うのは人の「生理的、心理的そして物理的」反応と意識なのです。あたりまえのことですが意識があるから人は人間社会の中で活動できるわけですがそれが見えないために衝突や分かり合えないという現象が起こるのです。
?????となると思いますが大丈夫です。それが普通です。
さてそこで私が言う日野武道コンセプトがお役に立てるのは「身体」を使って「人間って?」を追求し仮説と検証の中から本質を見つけ日常に活かす事を目的としているからです。
その「身体」というものが人にとってあまりにも身近にありすぎて「空気」のような認識になってしまっているのが現実です。
多分、痛いとか痒い、辛いとかがない限り只、歩くため、物を持つためや日常で必要のある身体の動きといった使い方、それに少し運動や健康に関心のある人達がやや異なる角度で「身体」見ているに過ぎないという事です。つまり不思議なことに自分の身体の事を人は錯覚しているのです。そこには「自分なりに」というのが存在しているからなのです。
その「自分なりって?」どういう事?という自分に対する問いかけが欠落している事が一つの原因です。でも生きてる限り身体は存在し動き続けますよね?そしてその身体を知ることで自分の考え方や生き方を知ることに繋がるのです。
自分の身体の使い方がその人の考え方であり生き方でもあるのです。しかもそれは「関係性」の中で発揮されなければならないわけです。人は自分一人では存在していません、他人がいて自分との「関係」があって存在しているのです。
そうですポイントは「関係性」が鍵です。 自分がどう人と関係できるのか?です。 その「関係性」の実際を知るために「身体」を使うのです。そこには勿論「意思」、「声」や「感情」といったものを含めての「身体」です。また「身体」というのは具体的ですから自分の思い込みだったり癖が出たりとハッキリと自分のものの捉え方や考え方がわかるわけですから「自分」という人がどういった風に人を見ているのか?どう感じているの。か?といった自分に対する疑問が生まれます。
それは他人から「あなたはこういう人です」と言われるのと違って自分で問題を発見しそして自分が答えを出さないとどうにもならないことがわかります。だから役に立つのです。 単純に例えば誰かがあなたの腕を握ったとします。それだけの事で人は握られてる腕を通して相手の意志、腕が感じる圧力の度合いを無意識的に判断します。そこでもしあなたの過去の経験則からの判断で腕を動かしたとします。そうしたらどうなります?
腕を握ってる相手の方はその返ってくる力に対して腕が逃げないように勝手に働きますよね?
これはお互いが対立し合った状態になってますよね?
つまりこの例で起こる現象は実は日常での会話や行動が職場、家庭内等で普通に起こっている見えていない部分です。 「身体」が起こす現象はその人の意識のあり方であり勿論日常での「会話」、「行動」も同じく意識の延長線上にあるということです。
只、人はこの「言葉」という非常に便利な道具を持っているが故に無意識的に物事を分けて考えてしまうのです。その上その人の個人的な言葉の解釈が含まれるわけですから益々見えなくなるわけです。
そうです物事には全て両面あるいは多面性があるにも関わらず一度頭のなかで「そうか!なるほど!」と満足してしまった瞬間にその人なりの言葉のイメージが出来てしまうわけです。
そしてそれらの事が既成概念、固定観念や自分が作った常識という具合に自分自身を洗脳してしまうわけです。 そこで私達が使わなければいけない道具は身体が持つ「感覚」つまり普段使っている「頭」より前に「感覚」を通じて人間関係をマスターしましょう。ということです。
泳げない人が水泳に関する本を100冊読破して教壇に立てて講義が出来ても泳げません。 「知ってる」のと「出来る事」と違いを多くの人は一緒にしています。ですから「身体」を通して自分を知り、他人を知りそれが出来る人(活きれる)になりましょう。というのが日野武道コンセプトです。
プログラム
胸骨操作から身体をつなげるー 「つなげる」が解るようになることを先ず最初に行います。これが発展しなければ相手とつながるが見えてきません。 これだけで自分が思っていた「身体」と実際が明らかに違うということが理解できます。
胸骨を上下、前後に動かすことで背骨が動き、それが肘、骨盤、膝とつげます。
「つながってると思う」はつながりませんから検証して確認していきます。
ここから人が当たり前と思っている概念を壊していきます。
正面向い合い(対峙)ー生後6ヶ月以上の幼児は皆、対峙してます。でも大人になっていくに従って出来なくなっています。特に現代人の大人は出来ている人が非常に少ないです。原因は大抵が自意識過剰。「対峙」が出来なければ相手とつながりません。相手の意識と「対峙」するのです。他人と自分と自分という壁がなくなる。を体験します。ここが入り口です。 伝えるということー自分が本当に相手に伝えているのか?また、本当に受け取っているのか? ここが出来てないから「あの時こう言ったのに〜」全然聞いてない!とか「自分はそう聞いた」、「そういう意味だと思わなかった!」等の所謂「〜つもり」で全て済ましてしまう自分を発見します。
これは言葉の放ったらかしが原因です。自分が相手に言っている或いは言った。と勝手に思ってるだけで何も伝えた訳でなく「音」を出しているだけだからです。伝えると受け取るは同時に行わなければ成立しません。
大方この3本柱で組んでいきます。しかもこの3本柱は全てある意味同じ要素です。そして大切なことはこれらのことをトライしている中での自分自身の発見です。決して「出来る出来ない」ということに囚われないことです。煮詰まらないようにその時々の状況や場の空気で変化をつけていきたいと思っています。
まあ気負わず楽しく真剣に取り組めば「あっ!!!」という気付き、その人に応じての変化が現れます。それが多ければ多いほど世界が違って見えてきます。
気づかれた方もいると思いますがハードルは高いです。それは今ある自分を越えていく事だからです
**講習会については、イベントページにてお知らせします。もう少しおまちください***